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和僑会議事録
第59回香港和僑会
開催日:2010-4-16
講師:南京中醫薬大學教授中醫学博士 楊さち子氏
講演テーマ: 『世界と日本の垣根をなくす!和僑大作戦その①』


大学で学びながら広州の国際旅行社でガイドになった。当時大卒で1万円ぐらいの給料のところガイドは20万円貰っていたので、ガイドは家が買えて当たり前の職業であった。毎日18時間勉強していたが当時の日本では中国に留学して中国語が話せるからといって女性が働ける場所はなかった。添乗員ぐらいしか職はなく香港に来た。観光旅行のツアーに参加すると2回ビクトリアピークに案内された。その時のガイドさんから「昼間に見える香港はゴチャゴチャしている。金持ちと貧乏人がいっしょくたに住んでいる、そういうのが見えている。夜景は汚いのが隠れているからきれいに見える。」

その時に『私も同じ事を言ってみたい』と思い、バオラン(近畿日本ツーリスト系)に入社した。
ガイドの世界はアシスタントガイドとチーフガイドに別れている。アシスタントガイドは下積みで4年ほど雑用をやらされてからチーフガイドに昇進する。私は1年間全く口答えをしなかった。白に見えてもチーフガイドが黒と言えば黒と言っていた。

ガイドの給料はHKD2,000(4-5万円)の基本給料と歩合給で成り立っている。オプショナルツアーの売上やおみやげの売上を仲間で分ける。もちろんチーフガイドの方がアシスタントガイドよりも分け前は多い。ある時、3泊4日のツアーでオプショナルツアーを5回やったことがある。香港の友人と会うなどの例外を除くとツアー客は全員このオプショナルツアーに参加してくれた。
タイガーバームや中国茶の販売をして山分けするが、売れない時でも貰うのは気が引ける。

ある先輩ガイドから「君がお茶が売れないのは君がお茶を好きでないから。ちゃんと飲んでごらん。」と言われて、お茶が好きになってからは売上は3万円→100万円→200万円と飛躍的に伸びた。
普通の観光ツアー客はガイドからおみやげを「売りつけられた」、「買わされた」と言うが、私の客は喜んで買ってくれた。当時のおみやげの定番はシャネルやYSLなど外国の口紅5本セットみたいなものだったが、相手に渡して「この色キライ」とか言われるといい気持ちはしない。私はみんなから喜ばれるお土産は何か?町でどのくらいの値段で売られているものなのかを徹底的に調査して同等かそれより安い値段で販売したのでみんなから喜ばれていた。

油麻地の横綱でタイ人の友人とラーメンを食べていると日本語が聞こえてきた。バックパッカーの男性とYWCAに泊まって仕事を探している女性。久しぶりの日本語だったので、2人の間に分け入って話をした。その女性はハイセンスという会社に入社し、毎日「うちの社長夫婦はいい人だから紹介したい。」と100日続けて電話があった。とうとう根負けして、会えば電話もないだろう、と承諾した。社長に会うと社長も同じ事を言われて会うことにしたのだと言う。社長と会い意気投合。帰る頃には社長の姉が翌週来るのでガイドを頼まれた。社長からフェリシモに誘われた。断ったがこの社長もしつこい性格。社長の姉に香港を案内している時に社長の息子と「1回のバスに何人乗る?」「45人」「うちだったら1回25万人に伝える事が出来るよ。」と言う遣り取りがあり「それもいいかな。」と思い承諾した。

フェリシモは並行輸入をしている会社で誰でも出来る業務内容だった。社長は私のために会社を作ってくれ、真珠クリーム、タイガーバーム、などの商品説明をするカタログを自分で作った。対象は25万人である。1千万円/週の売上があり、大したものだと自分でも思う。
次にアジアンソロジーと言うタイやインドネシアをメインに据えた個人向け通販を立ち上げた。タイでは美術館、博物館、市場、スーパー、セレブの行くようなデパートやショッピングセンターへ行き、気に入った商品を見つけるとその会社に電話を掛けて社長とアポを取り会いに行った。インドネシアでも同じ事をした。

過去一世を風靡した海藻石鹸も扱った。これは50万個売れた。海南島のよろず屋で見つけたものだ。他人が1万円で売っていたときに私は1200円で売っていた。ブームが去ってその人たちが100円で処分している時でも私は1200円で売れていた。海藻石鹸は効果がないというのはパチ物か使い方が悪いせいだ。ブームが去るきっかけとなったのは週刊ポストに海藻石鹸にヒ素が混入しているという記事からだった。だが、海藻にはヒ素は天然に存在している。海藻を原料に使った海藻石鹸に原料由来のヒ素が存在して当たり前のことなのだ。そこで薬事法がどうなっているのか?なぜ真珠クリームでお肌がツルツルになるのか?なぜ海藻石鹸でやせられるのか?を疑問に感じ、これをやりたいと思った。

アロマテラピーを勉強した。簡単だった。2年で分かった。草だけを勉強してもアカンと思い、漢方を勉強する事にした。最初はインドのアーユルベーダを思いついたが漢方も同じ仕組みと悟ったからだ。だが、調べてみるとちゃんと勉強するには6年も掛かる事が判った。アジアンテラピーの仕事も忙しかったが、香港政庁の方針で漢方医やマッサージ師、鍼灸師の免許制を導入する事となり、たまたま2000年に南京中医大学が香港でそれ様の講座を開講する事が分かり、早速参加した。講義の先生は南京弁で聞き取れなかったが、技術と経験はあるが資格が欲しいと言うベテランの鍼灸師達のクラスメート達からかわいがられていた私は周りが色々と教えてくれて成績は良かった。そのうち、南京中医大学で私が教えるようになっていた。南京中医大学で気付いたのがレポート用紙の質だった。きれいな紙で提出してくる学生も居れば一方でボロ紙で提出してくる学生も居た。消しゴムで消しても消えない鉛筆もある。経済格差によるものだった。そこで、私はいろんな雑誌などで得ていた書きものの収入を基に奨学金制度を立ち上げた。

南京中医大学では美容学は人気がなかった。人気のあるのは外科。どうしてかと言うと、美容学を学んでも卒業後の進路がヘアメイクぐらいしかなかったことにある。そこで私は、教え子全員に職場を提供したいと思った。北京のセブンイレブンに南京中医大学で作ったスキンケアアイテムを売り込みに行った事もある。その後、日本のショップチャンネルで『食べる真珠』を売り出した。南京中医大学は同校のブランドを世界に売りたいという思惑もあり商品開発に全面的に協力してくれた。この商品は1時間1億円と売れる方だった。

この番組に自分も出演したが最初はゲストとしての出演だった。上から目線であるとか色々言われ「ムリ」と言われた。私は会社から“年間40億円売上げたらどこで何をしていても良い”と言う条件だったのでこの商品の販売に全力を注いだ。ショップチャンネルの検査は非常に厳しいものがあった。製造工程はもちろんだが、「作業員が被っているヘアキャップの素材は何か?」「水洗いしている水の水源はどこか?」まで聞かれた。映像の担当からは「そのシャベリではだめ。」「そのメガネではだめ。」とダメ出しの連続。「香港マダムの格好をしてきてください。」とまで注文をつけられた。

「キレイになります。」は薬事法に抵触することから言ってはならず、「キレイさを保つ。」なら言っても良い。実際は「キレイさを保つ」方が難しいのだが法律ではそのようになっている。
これら厳しいハードルを越えたら後は何もかもうまく行くと思ったら大間違いで契約で5000万円分の在庫を準備するのだが、売れなかったら返品される。売れたら継続。2回か3回の放映で打ち切りとなる商品が多いのだが、『食べる真珠』は勝ち組みに入った。その後に起こった毒餃子事件で中国産加工食品に対する風当たりが強くなりbuyerも諦めていたのだが消費者から「この商品はきちんと作っているのが分かっているので大丈夫」と支持されてこの大逆境も乗り越えた。

この頃に筒井社長と面識を持った。香港ポストの編集者の渡辺さんが共通の友人と知り、親近感が涌いたのも親しくなれたきっかけだったと思う。そして和僑会を知り、昼の会にも参加した。

さて、ここからが私の言いたいことです。
セミナーに参加するために銀座松屋に言ったときの事、デパ地下は流行っているがそれ以外の売り場には人が居ない。デビアスで500万円で売っていたダイヤモンドを買ったのは中国人、デパートのアナウンスは中国語で一杯。とにかく中国人の購買意欲が旺盛な事が目についた。私は「これを何かに活かさなかったらもったいない」と思った。中国以外に住んでいる中国人が華僑なら日本に住んでいない日本人は和僑、和僑会はその和僑の集まりと理解している。

みなさんに考えて欲しいのは成功する人間とはどういう人か?団体プレーと個人プレーの両方の出来る人ではありませんか?
日本人の悪い癖があります。日本で流行るTV番組を見ていると、『水戸黄門』『ドラえもん』『ウルトラマン』これらヒーローに共通するのは何かと言うと、“困った時に誰かが助けてくれる”と言う筋書き。ウルトラマンには自分がならないといけないのではないですか?

京都に籠屋さんがありました。人間国宝でイッセー三宅のショーにもこの籠は使われている。イギリスのデザイナーが「エルメスよりすごい」と絶賛したほど非常にクオリティも高いしセンスもいい。そこで赤坂に支店を出す事にした。ところが惨憺たる結果に終わった。日本的な“モノ“が赤坂と言う”場”にそぐわなかったのが原因だったと私は分析している。
香港のセイコー専門店で扱っている一番高級な時計を見せてもらったことがある。だが、売れていない。これも“場”にそぐわなかった事例と言える。

中国は少し前まで物作りがヘタだった。それが世界の工場と言われるようにまでなったが、これからは作ってもらう時代ではなくなってきた。
世界の覇権国家は中国→イギリス→アメリカ→日本→中国とまた中国に戻ってきている。
日本で良い物を外国で売って行きたいと考えている。
中国でモノを売ろうとすると担当者が長期間にわたって駐在する必要があるが、日本企業の駐在員は数年で帰国してしまう。しかし、和僑は帰らないから人脈を構築する事が出来る。
外国でモノを売る時の心配事にパチモンが出るのではないかと言うことがある。

だが、機能が違えば消費者は本物を買うものである。日本人の要求は細かいので日本製に対する信頼は高い。弁護士にも参画してもらって、日本の基準を超えた基準作りをしてはどうか、その新基準には基準を作った人の名前を冠する。そして和僑マークを付ける。だが、安全と信頼を示すだけだからあったからといって別に売れ行きを保証するものではない。やはりうんちくは自分で作っていかなければならない。

基準のやり方は共有する。プラットフォームまでは団体行動、次のステップは個人で儲ける。純利益の3%を和僑会に収める。こういうスキムを考えている。
和僑会と言うのは適塾と同じ。大勢の優秀な仲間に囲まれて自己研鑽にいそしむ。
私も南京中医大学でクラスを持っているが、テストをして生徒を選抜したクラスも公募で生徒を集めたクラスも優秀な生徒は同じように出てくる。だからテストなんかしない。
和僑会でワンストップステーションを作ってみんなでウルトラマンになろう。

(速記録 by 拙速でそうろう)

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